Mick Ronson

よっ! べいべー えー久しぶりええ音発見! 北ウェールズ出身バンドでー 名前を The Coralってゆー んー 俺の大好きな音70年代フラワームーヴメントの頃の音してるー めっさサイケデリックな音! 最初聞いたとき、あれ? “The Byrds?”“Jefferson Airplane”?って思ったもんなー

いやー 新しい音を発見した時ってうれしいなー 俺もまだまだ捨てたもんやないなーって思ってまうなー まー良かったら、買ってみてなー まだデビューしたてでー 1枚しか出てないからなー 日本は夏かー みんな何聞いてるー? やっぱレゲエ? 関係なくRock’n’roll? まー俺は夏に結構クリスマスアルバム何か聞くけどなー やっぱへそまがりな俺ってかー あー 夏に俺Rats&Star 聞いてたわー まっええかー ほないこかー

今回は俺の大好きなギタリストMick Ronsonだー

Mick Ronson君はDavid Bowieが一番ギラギラしていた。グラム時代のBowieのバンド、Spiders From Marsのギタープレイヤー&バンドリーダー

ここで、Ronson君のプロフィールを紹介

本名 Michel Ronson イングランドのHull出身 1946年5月26日生まれ 小さいときお父さんの薦めでー ピアノを習い始めますがー まーだんだん大人になるに連れてー Rock’n’rollの血が騒いできます。そんでーRonson君ギターを買うんやなー でー1967年地元Hullで、The Ratsってゆーバンドに参加する。がー1969年脱退しー なんとこの人“庭師”になる。何でかってー(堺 すすむ風)ってそれはねー ミュージシャン時代にできた借金を返すため。オレー なーんでかー フラーメンコー オレッ!!

でー 連れでドラマーのージョンケンブリッジ君に“またやらない?”って誘われてー ギターを再び弾くよーになる。でー ケンブリッジ君 Bowieのドラマーに誘われたもんやから、Ronson君もケンブリッジ君といっしょにBowieのバンドに参加したわけ。その後のRonson君の活躍はー ゆーまでもないなー Bowie君といっしょにアルバムを作った。アルバム名は俺のBowie編を読むよーにー

でー ここで追加このころBowie君薬のやりすぎ、毎日ヘロヘロでー曲が書けやんだそーこの時代のBowie君の曲ほとんどがRonson君が作ってるでもー

作曲のクレジットにRonson君の名前がないなーそーBowie君は、言いました。“これは、俺のアルバムやからー 俺が作ったことにしてくれー”って、Ronson君は良い奴でーすべてーOKしてしまいました。その代わりRonson君は言いました。“アレンジャーの所に名前をのせてー”って・・・

そんなこんながってBowie君のまがままなー つもりにつもってー Ronson君バンドを抜けてしまいます。1973年7月3日のことです。

それから、Ronson君はソロで活躍・・できませんでした。Ronson君“俺は大きい箱でしかLiveをやらない”なんて眠たいことゆーからなー その大きい箱に客入らん入らん。当たり前、前は売れてたかもわからんけどー一応ソロになって新人やんかー そんな奴がいきなり東京ドームみたいな所でやってみー こけるに決まってるやんかー ましてー Ronson君レコード売れてへんのになー完全にぴよってるわなーそれでRonson君すっかり自信をなくしてしまいます。ハイ・・

でー問題のーソロアルバムは2枚“スロターオン10thアベニュー”“Play Don’t Worry”一般では、このアルバム最低のアルバムや!とかークソやーって言われてるけどー俺は大大大好きでなー 特に2枚目の“Play Don’t Worry”がー

2曲目の“Angel No.9”最高!! サイレンの音で始まり次にRonsonの力強いワウワウグニャグニャギター メロディアス キャメロン ディアスなピアノ美しいハーモニー泣かせる歌声ええでー それから4曲目の“White Light/White Heat”これはーあのPop Artの巨匠Andy Warholが作ったーVelvet Underground のカバー曲やけどーもち原曲よりはるかにええ100倍ええ!やっぱこの人アレンジの天才やわー んー

ソロで失敗したRonson君やっと自分が最高の2番手って気づいたRonson君今度は元Mott The HoopleのヴォーカルIan Hunterと組んでHunter&Ronson Bandを作るんやなー それからこのコンビ約15年続くその間に平行してーRonson君 Bob Dylanの“Rolling thunder review”に参加したりするんやなー がーしかし、Ronson君昔からひどい腰痛に悩まされていてーある日妹(マギー ロンソン)の薦めでーお医者さんにいくのだがー 精密検査の結果癌であることが判明!!

ふぅー それからRonson君は自分の人生の整理に入る。(1991年8月)

Queenのボーカル フレディーマーキュリーの追悼コンサート(1992年4月)に出演そこで、再びBowie君と競演(このビデオ日本で発売されてるから買ってみー)そしてこれがRonson君にとって最後のライヴ、誰もあんな力強いギターのリフ弾いている人が癌何かに犯されてるなんて思えやんぐらいええギター弾いてくれてる。

そしてその後Bowieのアルバム“Black tie・white noise”の“I Feel Free”てゆー曲(Creamのカバー クラプトンのいたCream)で久々いっしょにレコーディングしたりした。

そして・・ 1993年4月29日Ronsonは天国へ彼のギターレスポールといっしょに旅立った・・・そー彼は終わりのない永遠の夢を見に・・・

俺が好きなギタープレーヤーを上げろってゆーたら、真っ先にMick Ronsonってゆー それほどーこの人の音はー 俺の頭の中にこびり付いている。

今でもCDを買った時俺だけかなーギタープレイヤーの所に(G) Mick Ronsonの名前を探すのはー 最後に無くなってから出たRonson君のアルバムと生前出ていたアルバムを紹介して終わろーっと!

“スローターオン10thアベニュー”“Play Don’t Worry”“Heaven from Hull”“Just Like This” “Show Time”“Main Man”“Indian Summer”

“Mick Ronson Memorial Concerts” そんな感じで!! ほなまた!

あっ!! 言い忘れた! のぞみ!! 合格おめでとう!

With Love!

Sweet little rock’n’roller 

Play Don\'t Worry

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